戦争体験談

陸軍特別幹部候補生(略称特幹)

まだ幼稚な少年の私が祖国のためにと志願した憧れの特幹とはどのような兵種だったのか。戦争末期、軍は消耗する兵力の補充と増強のために徴兵年齢を二十才より十九才に引き下げたり、あるいは学徒を動員することにより、人的確保に努力したが、軍が求めている人員を確保することができなかった。そこで陸軍では、海軍の予科練に対抗するものとして、短期間の軍隊教育で即戦力として活用できる中等学校生徒(十五才から二十才)に目をつけた。不足している航空、船舶、通信等、軍の中堅幹部である現役下士官要員のため作られた陸軍特別幹部候補生、通称特幹である。
昭和十八年十二月に創設され、十九年二月には一期生の一次検査、四月には二次検査、入隊と、この方も突貫であるが、このことは陸軍と海軍の兵員確保競争の結果、急いで採用したといわれている。

 

また、私が入隊した情報部隊とはどのような兵科なのか、簡単にお話しします。
米、英との開戦により戦争の形態は大きく航空優先と変わり、航空軍備を急速に充実することが必要となり、操縦者、整備兵の養成はもとより、航空情報、航測、気象等の特兵を養成する準備がすすめられた。
そのひとつとして、情報聯隊が昭和十七年四月、静岡県磐田町周辺五十三町歩という広大な用地を買収して作られたのである。
航空通信の基礎教育部隊であり、第一航空情報聯隊、通称中部一二九部隊である。