戦争体験談

戦争終結へ

盲蛇に怖じず

 

 

現在では盲(メクラ)という言葉は差別用語として使われないが、当時のままを書きます。私の最後の赴任地、花蓮港南飛行場には、出撃できる飛行機など一機もなくなっていた。軍のお偉方が乗る偵察機が一機のみだった。この飛行機が訓練のため、空を飛んでいたのか、警戒警報になると、さっと降りて飛行場の端に作られたエンタイ壕(飛行機の避難する場所)に隠すような有様だった。
七月頃より、マラリアで発熱する人が出てきた。ついさっきまで熱い熱いと言っていた者が、急に寒い寒いと言って震えだす奇妙な病気だ。何人もかかり、予防薬のキニーネが配られたが、時すでに遅し、谷村一等兵が入院することになった。
朝、私と上村一等兵とで、彼をリヤカーに乗せ、中隊本部まで送り届けた。帰ってまもなく、警報のサイレンが鳴る。河野見習士官が「皆、防空壕へ入れ」と叫んで出てきた。壕へ入りしばらくして、ドカンと大きな音とともに地響きがした。現役兵(一等兵と二等兵達)が、花蓮港だと叫んで、花蓮港の見える林のはずれまで走って行った。河野見習士官が、「コラー、壕を出るな」と叫んでいるが、むこうの音が大きくて耳に入らない。敵機はどうもこちらに来ないらしい。私もエン里で受けた恐さも忘れ爆撃の見える所まで出た。花蓮港市街までは六キロ程で、ちょうど私の故郷から隣の市街を見るようだ。
ちようど爆弾投下した後なのか、町からもうもうと土煙が上がっている。
また一機、低空でやって来た。爆弾二個投下した。焼夷弾でないので火災にはならないが、すごい土煙だ。二機だけだったのか、静かになった。機銃掃射もない。
宿舎へ帰ると、見習士官が避難しなかったのを注意するでもなく、「おまえら、メクラ、ヘビに怖じずだなあ」と笑っていた。現役兵達は、この空襲は初めてであり、物珍しかったのだ。
八月に入り毎日平和な日々だ。久しぶりに支給された手当を持って町へ外出する。めざす飲食街、爆撃跡などない。爆撃は役所街だけだったのだろう。市場で、顔にイレズミ、腰に蛮刀を提げた蛮人を見る。

 

 

 

蛮人部落の踊り

 

 

 

 

昭和二十年八月、毎日暑い日が続く、まったく静かな日々だが、米軍デマ放送では、もう戦争も終わりらしい。
八月十三日夕刻、近くの蛮人部落で踊りがあるそうで、非番の者三人(偶数日の勤務者)で見物に行く。十坪程の広場に故郷の輪踊りのようだ。女達は赤や青の布に白い鳥の羽などで美しく着飾っているが、男は皆、軍に徴用されているので老人ばかりだ。日本の踊りにくらべ、かなり激しい動きの踊りだ。

 

 

ナルワイナナヤホー

 

イヤホヨヘンナンヤー

 

 

と単調な歌詞の繰り返しだ。いつも快活な上村一等兵は一緒になってはやしていた。
途中の休憩時に、顔に緑色のすごいイレズミをした老人が「ヘイタイサンモチタベナサイ」と言って餅を持ってきた。彼らはイレズミの顔とうらはらに人懐っこい。この長老の話では(片言ながら日本語は話せる)、普段は夜通し踊るのだが、今は燈火管制のため、明るい頃より始めて八時頃に終えるのだそうだ。戦争はこんな人たちまでもまき込んでいるのだ。若い男たちは軍に徴用され、トッコウタイ(特別工兵隊)として山のほうで長期戦に備えての洞窟掘りに従事しているそうだ。

 

 

 

 

 

陛下の玉音放送

 

 

 

八月十五日朝、今晩野外映画会が行われるとのことで、飛行場の端(東側は高い木が繁っていて月光が妨げにならない)で本部の兵達が準備をしていた。私達の宿舎近くであり、非番の者達で見物に行く。
昼近くになって、本部より自転車に乗った人が、「映画は中止だ。皆すぐ本部へ帰れ」とわめていてきた。なにごとだろうと、宿舎へ帰る。
昼頃、ラジオの前に集まった。ラジオはガツガツと雑音ばかりで、何が何だかわからぬまま終わった。見習士官は何か情報を得ていたのか、「戦争は終わったのだ」とポツリと言った。
私達は下級兵士でも、受信所で米軍放送を聴いているのでだいたい負け戦だと思っていたが、どう
なるのだろうと騒いでいると、また見習士官が「今後の行動は本部よりの命令を待つ、解散」と言って帰ってしまった。それからが百家争鳴である。「これで国へ帰れるのだ」「キン玉抜かれて米軍の捕虜だ」「そんなことになるなら徹底抗戦だ」「抗戦するにもろくな武器もなく皆殺しだ」などと大変だ。
夕刻、受信所の兵二名が帰り、明朝、私等二人と交替するはずだったが、終戦で勤務も終わりとのことだった。彼らの話では、昼のラジオ放送は天皇陛下の終戦放送なのだという。また以後の米軍放送では「日本は無条件降伏であるが日本軍将兵は無事に国の故郷へ帰れる」と放送していたというのだ。
鬼畜米英と教えこまれた私には半信半疑であったが、それ以後は皆の間では、だんだん悲観的な話はなくなり、帰国を待望する話ばかりになった。

 

 

注:文中の本部とは、花蓮港飛行場を管理する第三飛行場中隊の本部のこと。我が隊の本部は台北にある。

 

 

 

1_台湾民謡_高山青