戦争体験談

陸の孤島花蓮港へ

五月末、私は花蓮港小隊へ転局を命じられた。四月に班長に進級していた。現役一等兵二名を引率する。
昭和四年生まれの私は十六歳、彼らは二十歳だが、身長百七十センチと彼らより大きく成長していた。私には引率者としての遜色はない。
花蓮港は、台中の真東になるが、行く手に、日本一高い山、新高山を擁する台湾山脈があり、ずっと迂回して行かねばならない。

 

 

朝、台中で列車に乗り、台北、基隆(キイルン)を経て、東側の鉄道の終点、スオウに着く。午後三時頃だった。ここからはバスだが、出発に際し本部より、バスはグラマンに狙われたら危険なので、軍属の貨物船に便乗させてもらうよう指示されていた。さっそく港へ行く。港には長さ二十メートル、巾三メートルくらいの小さな船が一隻停泊している。軍需物資を運ぶ貨物船だ。船員の話では、船も、グラマンを避けて夜の十時頃、真っ暗になってから出港するのだが、きょうは荷物も多くないので出港しない、明日の晩十時頃また来てくれとの事だ。そのまま野宿だ。常夏の台湾では寒くはないが、食物がなくなっていた。

 

翌朝、皆で所持金を出し合って、スオウ駅前の露店へ食物を買いに行く。小さなバナナだ。どうにか飢えをしのぎ夜十時頃乗船する。

 

船室には、佐官級の将校が、当番兵と二人いる。私たち三名は船首のほうにて敵潜水艦の発する魚雷を見張ってほしいと言われる。真っ暗で何も見えない。こんな小さな船までもと思うが、実は船室には皆入れないからだろう。
私たちは偉い将校と一緒より、このほうが楽だ。まして船に弱い私など夜風にふかれて船酔いもなく快適だった。
早朝、花蓮港に着く。私たちの勤務地、飛行場横の草分部落をたずねると、八キロくらいあると言う。一服しようという一等兵を励まして、すぐ出発する。朝、涼しいうちに着任した。
花蓮港勤務中、私はこの難儀な行程を、台北本部出張のため、何回も往復することとなる。

 

 

 

(付記)

 

文中花蓮港とは、現在の花蓮の地。港ができてから町がだんだん大きくなったので、町全体を花蓮港と称していた。