戦争体験談

輸送船(一)

二月十日朝乗船した。民間貨物船を兵員輸送用に改造した五千五百トンのメルボルン丸である。甲板には、野砲などが太いロープで固定してあり、台湾防衛のための関東軍の精鋭千五百名程が乗っているそうであった。

 

船尾中央が大きな穴になっていて甲板の両側より鉄製の梯子が何本も垂直に下がっており、それで船室に入るのだ。一番下が機関室と貨物、その上が兵員の船室だが、一メートルくらいの高さで三段になっている。蚕棚のようだ。中へ入るには、這って行かねばならない。中は真っ暗で、一坪に七名程、三段なので三倍の二十名あまり。荷物並だ。真冬なのに、大勢の人のためかとても蒸し暑い。それに持ち物は、帯剣、水筒、雑のう、背負袋、救命胴衣と、横になるスペースなどない。寝る時は編上靴をはいたまま荷物に寄りかかっているだけだ。

 

食事は乾パンに乾燥野菜と、水分補給に湯が配給される。
トイレの小は甲板の端に雨どいのようになっているが、大は大変だ。両舷より海上に突き出て周囲は板張り、下は二枚の板が渡してあり、それにまたがって用を足すのだ。下を見下ろすと船腹に当たった波しぶきがものすごく、風の強い時など船腹に吹きつけた波風とともに汚物が舞い上がってくるようであった。現在旅行などで乗る快適な客船などと較ぶべくもない。
当時の鬼畜米英との戦意高揚映画「奴隷船」さながらであった。また当時の軍歌に、

 

ああ堂々の輸送船♪

 

との詩があったが、堂々どころか、敵、潜水艦の攻撃にただ逃げまどうばかりであった。