戦争体験談

輸送船(二)

十日夕刻出港した。機関の振動が体に響いてくる。
乗り物に弱い私は気分が悪くなり、甲板に上がり、腹の中がえぐられたように海面へ全部吐いた。冷たい外気にふれ、気分もよくなり船室に戻ろうとすると、「退船」の号令で、皆甲板に上がってきた。

 

「ただいまのは訓練である。先刻、門司港を出港した。これより米軍潜水艦の攻撃を避けて大陸沿いを南下する」
との説明が指揮官よりあった。

 

狭い甲板は立錐の余地なしだ。定員の数倍乗っているのだ。まだ船室に大勢いる。訓練でなく、本当に沈没だったら船室の人達は船と共にお陀仏だろう。

 

翌十一日、外海の玄界灘へ出たのか船が揺れ始める。船酔い者が出る。昨日一番先に酔った私は、免疫ができたように不思議に酔わない。「俺は漁師の生まれだ、こんな船なんかへっちゃらだ」と豪語していた者も皆酔ってしまった。しかし、一度酔って吐く物がない程に苦しんでも、翌日頃から皆元気になるのは不思議だ。

 

十三日朝、トイレをしに甲板に上がると、海は青いという先入観の私には異様な光景だ。ちょうど黄海なのか、海は白黄色だ。
左舷の方を、護衛艦が速いスピードで通り過ぎて行く。聞けば私達の輸送船、メルボルン丸とアルゼンチン丸の二隻を、駆逐艦二隻、海防艦三隻が護衛しているそうであった。

 

黄海を過ぎた十五日夜、けたたましく退船準備のラッパが鳴り響いた。急いで甲板に上がる。真っ暗な中、遠くの方でドンドンと大きな音がする。護衛艦が爆雷を落としているのだ。敵潜水艦が魚雷を発射したが、護衛艦のおかげで無事だったのだ。以後敵潜水艦は撃退されたのか襲撃はなかった。
そのまま大陸沿いを南下し、福建沖にて進路を変え、台湾海峡に向かう。折しも季節風の吹きすさぶ海峡は大荒れで、大きな輸送船も木の葉のように揺れた。ちょうど私達の乗船位置が船尾のスクリュー上のため、上下十メートルくらいのローリングを繰り返す度に空転の音がガラガラと響いてくる。はらわたがひっくり返るような嘔吐感だ。みんなの嘔吐物で、狭い空間にすごい臭気が充満する。全員死んだようになった。真っ暗な中、話し声もない。
どのくらい時間が経過しただろうか、やがて波もおさまり、なんとなく蒸し暑くなってきた。気がつくと船は静かに動いている。誰からともなく「基隆港に着いた」というどよめきが起きた。そうだ、基隆に着いたのだと思うと、さっきまであんなに船酔いに苦しんでいたのが嘘のように晴れやかな気分になった。
門司港を出てから十日目の二月十九日朝であった。
岸壁に着くと、関東軍の兵士や、戦車、野砲などの荷降ろしが行われた。
私達が降りたのは一番最後であった。というのは、一緒の船室より伝染病の擬似患者が出て、周囲の者百五十名程検便するためだ。
埠頭の倉庫でズボンを下ろし、四つ這いで出した肛門に、衛生兵がガラスの細い棒を突き込み、便を採取する。結果が分かるまで隔離だ。
列車に乗り、台湾南方の桃園に隔離された。