戦争体験談

私的制裁

 

私的制裁とは訓練に伴うしごきや切磋琢磨と全く異質のものである。
このいじめは主に班内で行われた。班長は別室におり、班内には一ヶ班訓練兵五十名程に古兵は班付兵長〜上等兵で、一等兵四名程いた。
私達は入隊当初より一等兵であったが、自分のことを「○○候補生」と名乗り、古兵を「兵長殿」「上等兵殿」、一番いやな落幹一等兵を「基幹兵殿」と呼ばされていた。
班付兵長は班長と一緒に我々の訓練についてくるが、上等兵と基幹兵は隊内の種々の勤務や雑用使役等で、使役のない時などは、訓練で疲れて帰った我々を待ちかまえていていじめるのであった。
このいじめの私的制裁は、当時上層部よりかたく禁止されていたが、古兵達は自己が先輩にいじめられたうっ憤を後輩の新兵に行うのである。
班付兵長には通達されているが見て見ぬふりをしていたのである。「窮鼠猫を噛む」ということわざがあるが、窮鼠(新兵)が猫(古兵)を噛むことはセ絶対できないことであった。これは旧日本軍隊全国共通の悪しき慣行だったのである。
私的制裁は主に夜の点呼後消燈までの自習時間に行われた。それ故、消燈ラッパは悲しいメロディとなって聞こえてきた。

 

 

新兵さんはかわいそだね♪
また寝て泣くのかね♪

 

 

七月末にて新兵訓練も終わり、水戸の通信学校へと転局したが、水戸では古兵もおらず班内は同期生ばかりであり、訓練は厳しかったが磐田でのようないじめやいびりはなかった。中部一二九部隊では三ヶ月、水戸通信学校では六ヶ月の訓練であったが、このいじめ、いびりのため磐田での生活のほうが多く記憶に残っている。

 

 

 

 

『旧陸軍 消灯ラッパ』(らっぱ吹奏)伊丹駐屯地特別編成らっぱ隊