戦争体験談

非常呼集

情報一ヶ中隊訓練兵、定員二百名のところ、四百名あまり入れられた。そのため、寝台は上下二段になっていた。兵舎は横に長く、中央に廊下が横断しており、その廊下をはさんで対面する二室で一ヶ班となっていた。廊下の両側には九九式小銃が二十丁程並んでかけられていた。

 

非常呼集の時にはその銃を体の大きい者から順番に持って出るよう決められていた。私も銃を持たなければならない。
七月六日夜の点呼後、班付兵が声をひそめて明日非常呼集があるかもしれんから準備しとくようにと言った。以前は軍の記念行事は日露戦争の戦勝記念日の、陸軍三月十日、海軍五月二十七日に行われたそうだが、この頃の陸軍では七月七日の日支事変の日を記念して行われていたのである。兵長は前年行われたので本年もそうだろうと思っていたのである。

 

七日夜中の三時頃、非常呼集のラッパがなった。衛兵所にて吹いているのだが、静かなので隊中みんな聞こえる。
完全軍装にて兵舎前に集合、朝食も食べずに営外への行軍である。朝のうちは涼しいが、陽が昇って暑くなる頃より落伍者が出始めた。落伍者はトラックにて営内へ帰るのである。招集兵で年配の班長や日ごろ訓練に参加していない古兵などである。私に些細な事で因ねんをつけ、ビンタをくれた古兵が落伍したのでいい気味だと思った。しかし近年の戦友会の話で、ずる賢い古兵達は落伍者になればトラックで帰れるので、わざと落伍をよそおって帰ったとのことだった。彼らには向上心がなかったのである。それは彼らは入隊前は大学生であり学徒動員で徴兵され、幹部候補生試験にて成績優秀な者より甲幹(士官)、乙幹(下士官)となるのであるが、試験不合格で落幹とあだ名された連中である。我々特幹は、彼らを追い越して乙幹に匹敵する下士官に任官するのだから、ねたみ根性からよけいにいびったのだった。

 

午前十時すぎ帰営し班内へ入ると、燦然たるものである。落伍をよそおって先に帰った古兵達が、我々新兵の私物箱や、きちんと整とんして積み上げてあった衣類など全部ひっくり返しばらまいてあったのだ。これも非常呼集訓練のうちなのか。